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遠野和紙
遠野和紙の歴史
遠野和紙は、古く江戸時代に始まり、最盛期の明治20年頃には紙漉き屋が約600軒ほどありましたが、洋紙や機械漉き和紙の普及により、和紙の需要が減っていき、昭和40年代には遠野町で1軒だけになりました。
その1軒だけ残ってやられていた方が、いわき市の無形文化遺産にも登録されていた深山田地区の瀬谷安雄さんという方なのですが、ご家族で50年近くに渡り、遠野和紙を守ってこられました。
平成22年度に瀬谷家が紙漉き業を廃業した後、平成27年度から地域おこし協力隊制度を活用し地域の方々と、遠野和紙の継承と存続ができるように活動をさせて頂いています。
遠野町にて、なぜ和紙の生産が盛んだったかと言いますと、農家さんなどの兼業のお仕事という事もありますが、紙漉きに適した綺麗な水、原料となる楮、気候などの条件が整っていた為、多くの方が従事していました。
遠野和紙の用途としては、主には障子紙でしたが、現在では主に遠野町の小・中・高校の卒業証書、画仙紙、葉書、名刺や行灯などに使われています。
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